歴史
白鳥台は峰相山の麓に位置し、東に聖なる書写山を仰ぎ、西には古刹「鶏足寺(址)」があり、この付近からは縄文時代後期の住居跡や古墳時代の白鳥山古墳群、窯跡等が見つかるなど、古来より、恵まれた文化と信仰によって育まれてきた地域であることをうかがい知ることができる。
戦後復興期の昭和30年代後半より、石見牧場跡地に大規模な住宅団地造成計画が起こった。当初は打越住宅団地の名称で施工したが、小学校区が白鳥(当時)であったこと、団地の一部に字西白鳥(にししらとり)があったことにも由来し、白鳥タウンと命名された。
- 峯相山鶏足寺
峯相山(峰相山)は『播磨国風土記』にみえる稲種山に比定される。山上にあった鶏足寺は神功皇后が三韓征伐より連れ帰った新羅国の王子が草創したと伝えられている(『峯相記』)。神護景雲(767~770)頃には多くの伽藍があり、10世紀には空也や書写山圓教寺の開山・性空も来山したと伝わる。天正6年(1578)、羽柴秀吉に抗したために全山焼失し、その後再興されず廃寺となった。現在は数基の五輪塔や経塚跡、礎石などが残り、ひな壇状に造成された多数の削平地は往時の規模の大きさを偲ばせる。
- 峯相記
貞和4年(1348)、鶏足寺に参詣した旅僧が、旧知の老僧に遇って伝聞筆録するという手法によって書かれている。国内の寺社の縁起や旧事伝承などを記録しており、鎌倉時代末から南北朝時代の播磨国の様相を知る上で貴重な地誌である。兵庫県太子町の斑鳩寺に、永正8年(1511)に写された最古の写本が残る。
- 大谷古窯跡
打越~石倉にかけての山腹や麓で、7世紀末から8世紀初めの須恵器窯跡が多く発見された。大谷窯跡付近から出土した鴟尾片は、大阪四天王寺で発掘された鋸歯文縁複弁六葉蓮華文で飾られた鴟尾片と同種とされている。
沿革
昭和45年~ 白鳥ニュータウンとして土地販売が開始
昭和46年 マイホーム住宅建設が開始
昭和47年 白鳥台商工会が発足
白鳥台自衛消防団を結成
昭和48年 自治会が発足(1973年)
昭和50年 オイルショック後、全国的土地高騰で住宅建設が加速
昭和51年 集会所を新築
昭和63年 行政区画変更(白鳥タウン → 白鳥台と改称)
(姫路市打越〇番地〇 → 姫路市白鳥台〇丁目〇番〇号)
平成 8年 集会所を大きく増改築
平成18年 白鳥台自治会を法人化
平成25年 第二集会所とスポーツ広場を建設
平成24年度 コミュニティ活動優秀団体 最優秀賞受賞(佐々木孝志 会長)
平成26年 兵庫県くすのき賞受賞(芦田 守 会長)
令和 4年 「姫路市SDGs宣言」を発出
世帯数と人口
2022年(令和4年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
白鳥台1丁目 | 370世帯 | 760人 |
白鳥台2丁目 | 355世帯 | 763人 |
白鳥台3丁目 | 450世帯 | 962人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[2]。
- ^“町別人口・年齢別人口-令和4年(2022年)12月末-” (日本語). 姫路市. 2023年2月9日閲覧。
- ^“市立小学校・中学校・義務教育学校への入学・転校など” (日本語). 姫路市. 2023年2月9日閲覧。